2008年06月11日

有償ボランティア募集!!

今年の夏沖縄で開催される
キジムナーフェスタは
http://www.kijimuna.org/kijimuna2008/home/news.html

ボランティアスタッフの力で運営されています。

人を喜ばせるのが大好きな人を求めています。

ご応募をお待ちしています!

活動期間: 2008年7月上旬〜27日(日)
時間: 9:00〜22:30
のうち4〜8時間程度、都合の良い時間帯で

業務内容:公演の受付、お客様の誘導や案内など。

面接により採用します。その後
講習会を行います
7月14日〜18日

詳しくは
キジムナーフェスタセンター
098−921−2102 まで
posted by morgan at 21:02| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月09日

演劇フェス、キジムナーフェスタチラシ完成!

毎年沖縄で開催される 7月19日〜27日

国際児童青少年演劇フェスティバル

のチラシが完成しました!

詳しくは以下をごらんください!

チラシ裏

チラシ表
posted by morgan at 20:10| パリ ??| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月07日

名嘉睦稔at明治神宮

今回は告知でございます〜

わたしの大好きな名嘉睦稔さんが明治神宮で展覧会を行います!

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
       名嘉睦稔木版画展 〜命の森〜 [明治神宮文化館]
         http://www.bokunen.com/meijijingu/
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

  展覧会スペシャルサイトがオープン!命の森プロジェクトスタッフが
  お届けする期間限定のブログやバナーもありますよ。



さらにそのプレイベントが6月東京ギャラリーで行われます!!!
東京在住の方はぜひ足をお運びくださいませ。

・・‥‥……━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……‥‥・・・
       『〜命の森〜 祈念展』ボクネンズアート東京
    http://www.bokunen.com/mt/archives/2008/06/post_302.php
・・・‥‥……━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……‥‥・・・

 7月から明治神宮で開催する『名嘉睦稔木版画展〜命の森〜』
 大勢の方にいらして頂きたいという想いを“祈念”して、展示作品を
 セレクトしてみました。

  会 期:6月13日(金)〜21日(土)
     open / 11:00−19:00 (日曜休廊)
  会 場:ボクネンズアート東京
      http://www.bokunen.com/gallery/tokyo.php


    .。.:*・゚☆.。.:*・゚★大入祈念 特別企画.。.:*・゚☆.。.:*・゚


 会期中オリジナル作品をお求め頂いた方に嬉しい特典です。
 明治神宮にて開催の作家本人が登場する『名嘉睦稔木版画展〜命の森〜』
 オープニングレセプションへ特別ご招待致します!

    .。.:*・゚☆.。.:*・゚★.。.:*・゚☆.。.:*・゚★.。.:*・゚☆.。.:*
・゚★

以上、勝手ながら宣伝させていただきました〜
posted by morgan at 20:20| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月05日

メディアの色

ほぼ5年ほど前に書いたエッセイのひとつ。
なかなか思いきったことを書いてます。

メディアの色

フランスに住み始めて六年。最近気になるのが世界情勢に対しての日本とフランスのテレビ報道の違いだ。特にイラク戦争に対しての報道の違いには驚いた。

フランスのテレビ報道の姿勢はまず、現状の状況解説と共に必ずと言っていいほど各専門家のコメントがそえられてあった。さらに戦争の是非に対しての討論会が毎日どこかの局でおこなわれ、特に仏独共同テレビ局、「アルテ」ではほぼ毎日、二ヶ国語での討論会が行われていた。

フランスとドイツはイラク戦争を反対し続けた最後の国だった。その姿勢にはそれぞれの国の思惑もあったと思うが、連日のように細部にわたり伝えられるイラクの状況と米国の対応を聞いていれば、戦争がいかに卑怯な手段であるかは明白だった。

一方、日本のテレビ報道は簡単な状況説明だけで、報道の多くは「誰々が何を言った」というようなものだ。そこにはその場の状況やその発言に含まれている思惑に対しての解説はほとんどなく、深く考えていなければ簡単に聞き流せてしまうような内容だった。

偏りのないように、事実だけを忠実に伝えるのは大事だが、簡潔すぎて専門家でない限りその情報の意味を理解するのは難しいと思った。さらに、イラク問題を扱ったあるテレビ局の報道特番は英国テレビ局の特番の吹き替えだった。英国は米国と共にはじめからイラク戦争を肯定してきた国である。当然のごとく、イラクの脅威を示唆し、米国を肯定する内容となっていた。

自らの立場や目で報道することなく、他の国のフィルターを通してみた情報を流すのは、特に国策が絡む戦争の場合、あまり賢明とは思えない。

私は、フランスやドイツがよくて日本の報道はダメだといいたいわけではない。実際、フランスの報道は中立的な「批判精神」での議論を目指してはいるが、やはり国民性は強く出ているし、それはドイツも同じであるとおもう。しかし、日本の世界情勢に関する報道はどうしても他の国(特にアメリカ)の意見を借りて自分のものとしている気がしてならない。

日本人は何を考えているのかよく分からないとヨーロッパ人はよく言うが、それは報道の世界でもいえるかもしれない。
posted by morgan at 00:48| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月30日

今日は日記です。

今、暗中模索中。
もちろん仕事のこと。
とにかく私は「後悔」とか「ああやっておけばよかった」なんて思いが何よりも苦手なので
思いつく限りのことをやっています。

でもやってもやってもその「返り」が見えないとくじけそうになってしまいます。
そんな時夫とコッポラの傑作といわれる「地獄の黙示録」を観ました。

なんでこんなときに!こんなタイトル映画!なんて思いましたが夫が
どうしても完全版が観たい(←実はもう何度も観てる)って言うんで観たんですが。。。

感想:狂気の沙汰での作品

私は戦争映画が苦手で、特に泥沼化したベトナム戦争の映画はほんとうに苦手なんですが、この作品は、まさにそのとおりの作品なんだけれど、作品の好き嫌いは別のところで、この作品に対する監督の命の賭けぶりがすさまじく、その「空気」に圧倒されてしまいました。

観終わった後、このコッポラ監督という存在に興味がわいたので彼の歴史を見てみたら、
なんと彼の名が一番知れ渡っていた80年代になんと3度も破産をしておりその大きな原因となったのは、この映画の制作費50億円近くの負債を個人で抱え込んでしまったのが原因といいう。
文字通り命を懸けて創った映画だった。
試練とはその人相応のものがやってくるんだなぁ〜とつくづくかんじつつ、だからこそやり遂げることも大きいのであり、そういう意味では私の今の試練なんて安っぽいなぁ〜と感じ、ちょっと悔しかった(笑)
さらにもっと大きな試練がやってくるような器の人間になろう!なんて思ってしまいました。

そんなことを考えていた昨日、友人の個展のパーティーで久々に会った、元歌手の友人にこの話をしたら、「実は歌手やっていたころの事務所社長がコッポラの友人なんだよ、だからなんでよーこさんがなぜに突然私にコッポラの話したんだろうとびっくりしたよ」といわれた。

こちらもびっくり。

同じようなことが昔ダライ・ラマ法王の件でもあった。たまたま観た法王ドキュメンタリーの話
をしたらその人がそのドキュメンタリーの監督だったとか。

直接的ではなくても、共感する人にはやたらと縁がつながっていく私。

そのご縁をもっと大事にして、自分ももっともっと精進しなければと思う今日この頃でした。




posted by morgan at 21:39| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月28日

雲丹(うに)の味

連載エッセイの続きです

雲丹(うに)の味


私はあまり雲丹が好きではない。なぜなら食べ過ぎたからである。贅沢だと思われるかもしれないが、食べ過ぎた理由はむしろその逆だ。それはこういうことである。
私の子供時代、母は時間があれば海へ行き、素もぐりで漁をしていた。素もぐり漁はいわゆる母の趣味だったが、その仕事振りは立派なもので、一日かけての漁で、かなり大量の雲丹(うに)、サザエ、貝類をとってはそれを数日分の食事にしていた。
母の漁の中心は雲丹で、それを探す過程で見つけた貝類もついでに取るという具合だった。雲丹を求めて母はかなり沖まで行き、何時間もその姿が見えないことが何度もあった。砂浜で遊びながら、ときおり沖のほうを見ては、姿の見えない母を思って、もしこのまま母が帰ってこなかったら私はどうなるのだろうと思い急に切なくなったりしたものだ。幸い強い母は必ず浜に帰ってきて、網いっぱいの雲丹を私の前で広げてみせたものである。
割った雲丹の実取りは私の役目で、赤みがかった山吹色の雲丹の実をつまみ食いしながらそぎとっていた。取れたてなので、口に入れると海水の香りがして、
つぶつぶとした感触を残したまま濃厚に溶けていく感じだった。
最高においしいはずなのだが、割る作業のたびに大量に食べてしまうし、それでもサラダボウル一杯分ある雲丹の実を見るとさすがに最後は気持ち悪くなってしまう。それで、いつの間にか自分から進んで食べるということはなくなってしまったのだ。
今では母も沖縄を離れ、素もぐり漁をすることはなくなった。さらに珊瑚もほぼ死滅し、すっかり枯渇してしまった沖縄本島近海で素もぐり漁をしてももう昔のように雲丹は採れないだろう。
そのためなのだろうか、私は時々昔のあの海を、あの太陽を、あの網袋いっぱいの雲丹のころに戻りたくて、おもむろに雲丹一切れ口の中に入れるときがある。しかしその味はあのころの味とは程遠く、ただ食べたことを後悔するのである。
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2008年05月24日

伝統とは


伝統とは


先日、ブルターニュ地方の民謡歌手であり、私の友人でもあるケメネール氏を訪ねた。ブルターニュはフランスの西端に位置する地方で、その歴史、言語共にフランスの他の地方とはだいぶ異なる。その土地でケメネール氏は民謡歌手としての活動のみならず、各地に散らばっている俗謡、民謡、さらには物語歌の収集家としても知られている。彼は各地に自らの足で赴き、その土地の人々とブレイス語というこの土地に伝わる言語で話し心を許しあい、そして彼らの歌を聞かせてもらうのだ。時間も手間もかかる収集の方法のように思えるが彼曰く実はこれが一番効率がよく、実のある収集のできる唯一の方法だという。

何十冊にもわたるその収集ノートからこれはという歌を選び出し、コンサートで歌うこともたびたびあるが、しかしそれが収集の目的ではない。むしろ彼にとって「収集作業」はこの土地の記憶を自分の中により深く刻む作業だという。

土地の人々との出会いや、歌い継がれてきた歌を自分の中に取り込み、そこから出た想いを表現する姿が「歌」であると感じているようだ。
だから彼の歌う作品の中には彼自身の創作が多くある。創作といっても前衛的なものではなく、伝統的な音階、リズムで彼の母語であるブレイス語で歌っている。それは彼が伝統音楽に固執しているというよりは、ブルターニュ音楽そのものが彼に一番近い音だからに違いない。だからなのだろう、彼の歌は心の芯まで染み渡るようで、不思議なことになんだかなつかしい気持ちにさせるのだ。

そんな彼に、私は彼の想う「伝統」とは何かを訪ねた。
彼はだいぶ歳の離れた私に諭すように、「大事にしようとする気持ちは大事だけれど、守ろうと意固地になっている伝統なんて博物館ガラス越しに見るものと同じで面白いものじゃないよ。伝統を継承するということは自分にその姿を取り込み、自分の色に染めて表現し、次に継承させていくことだと思うよ。きっとそうやって土地の記憶、文化は引き継がれていったのだし、伝統だって、過去の文化の鋳型といえばそれに過ぎないのだしね。」

彼のその考え方はそのまま彼の生き方なのだなと感じた一日だった。
posted by morgan at 23:45| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 掲載記事・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月23日

アラブ人観

ちなみにこの記事は2004年、イラクにおいて日本人方が3人が誘拐・人質にとられ、「自己責任」という名のもとに、国民の大多数が異常なまでに人質になった人々を糾弾した時期にかかれたものです。

アラブ人観

私はパリの11区、アラブ人街のすぐそばに住んでいる。沖縄に住む人たちとは違って、アラブの人々は私にとってごく身近な存在だ。日常で頻繁に接触する人達だし、そのなかには友人もいる。そんな私から見て、日本のメディアで映し出されているアラブ人のイメージがどうしても納得いかない。まるで存在悪とでも言うような扱われ方だ。そこで、この事実に対するささやかな抵抗として、今回は日常生活の中で接してきた私が持つ彼らに対する印象を書きたいと思う。
こう書くと、まるで私がアラブ人のことを好きだと思われるかもしれないが、そんなことはない。むしろ苦手だ。実際、彼らとのかかわりの中でいやな思いをしたことは一度や二度ではない。
差別的発言になるのであまり言われないが、フランスにおけるアラブ系の大量移民問題は深刻であり、前回の大統領選挙で極右のフロンナショナル党が最終選挙まで残ったのは、この問題が大きく影響していることはフランスの誰もが知っていることだ。
このような事実をみていれば、アラブ人を嫌いになるのは当然、と単純に考えるかもしれないが、私は苦手だが嫌いにはなれない。確かに警戒して距離を置いているうちは、強烈な部分だけが目に付いて「嫌い」だった。しかし、アラブ人街の側に引っ越して、日常的に彼らと接する環境に置かれ、彼らもアラブ人である前に同じ人間であるということを当然のことながら再認識したのである。アラブ人の朝市に行けば、素朴なおじさんの笑顔に遭遇するし、今では友人も何人かいて、家に招待することもある。彼らの多くは宗教がそのまま生活規則なので、他文化を受け入れない、受け入れられないということがあり、それがフランス社会での順応化を難しくしているのだろう。しかし、個人的な付き合いに関しては相手の信条をこちらが尊重さえすれば、まったく問題ないのである。人間に存在悪なんて存在しないのだ。
そんな思いを再確認したとき、高藤さんのあの発言の意味も理解できるような気がするのである。
posted by morgan at 21:49| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 掲載記事・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月22日

つぶす日。

つづき、連載していたエッセイです。

つぶす日。

やんばるの子供たちにとって、豚やピージャー(山羊)をつぶす(屠殺する)場面に立ち会うことは興奮することであり、自慢でもあった。一種の肝試しのような感じで、無理やり目を見開いていたものだ。餌を与えていた家畜が殺される最初の一刀は一番辛く、見ていて悲しいものだったが、それが息絶えた瞬間、それは肉となりご馳走へと変わる。腹を割き、内臓を取り出す。そして信じられないほど透き通った小川でそれらを洗うのだ。家畜の血が、小川の水と混じり透明になって行くその様がとても不思議なことに思えたものだ。

夜になると宴会が始まる。朝つぶされた家畜はさまざまな料理に姿を変え人々の前に出され、この一匹を囲んで人々が集い、飲み、歌う。大人の宴会に早速飽きた子供たちは漆黒のやんばるの夜の中で鬼ごっこをする。月明かりと蛍の光だけを頼りに駆け回るのだ。
大人にせよ子供にせよ、「つぶした日」はなにやら不思議な興奮と、歓びに包まれていた。「生きてる」ということが迫ってくる感じだった。

だいたい私がこのような幼少時代の話をすると、そういう経験のない人からは「残酷だ」「私はそんなのかわいそうで見れない」と返される。しかし私にとってこの感覚はとても矛盾していると思う。卑小な近代的動物愛護主義に思えてならない。

それならあなたが食べる肉はどうなのかといいたい。そこにも確実に命があったことを認識しているかと聞きたい。現代の「肉」は食べやすく「加工」され「もの」と化してしまった。そこに生きていた彼らの姿を想像することは難しい。しかしながら確実に彼らは生きていて、草を食み、そして屠殺されたのだ。
その「命」を感じることができなくなったことのほうがむしろ残酷だ。

私は幼い頃、自分は肉を食べる資格がないのではないかと思ったことがあった。
というのも「肉」を食べる資格のある人とはその動物を「つぶす」勇気のある人だけなのではないかと思ったからだ。その動物の「死」と向かい合う人だけがその「命」を受ける資格があるように思えた。
その思いはきっと、「つぶす日」の朝には必ずその家畜のために祈っていた祖母の姿があったからかもしれない。
posted by morgan at 19:24| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 掲載記事・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月09日

琉球新報エッセイその1

そういえば、これまで掲載されてきた私の書いたエッセイ・記事をまとめずに放置してきました。

なので今回まとめてみました。

あほのことを書いてることもあれば、なかなかいいこと書いてるものもあります。でも一貫して文体は硬いです(爆)

でもまあこれを機会に順々にこのブログにUPしてみることにしました。
これはその第一弾です。

琉球新報掲載エッセイ

沖縄文化はフージない」

ある日、祖母にビデオカメラの前で歌ってほしいとお願いしたことがあった。私は祖母がいつも口ずさんでいる沖縄民謡を期待していたわけだが、直立姿勢で胸を張っている彼女の口からは大和の、標準語の歌が飛び出した。彼女の沖縄民謡を歌う姿を残したかったので、私は祖母に「おばーちゃん沖縄の歌うたってー」というと即答、「ふーじねん(みっともない)」の一言。
常に沖縄民謡を口ずさんでる祖母のその発言に矛盾を感じながらも、まさにこれが沖縄に流れている沖縄文化の認識なのだと思わずにはいられなかった。

文化というものが、一般的に尊重されたり評価されたりする場合、大概においてその文化そのものの価値とは関係なく、支配階級にある文化であるか否かであるような気がする。
沖縄の場合もそれと同じで、とにかく大和の文化は上等で沖縄文化はふーじないのだ。でも果たしてそうなのだろうか。価値のないものなのだろうか。ならばなぜ祖母は毎日沖縄の民謡を歌い続けたのだろう。そしてなぜ私は祖母の歌が心に染み入るのだろう。

第一、文化に優劣なんてありえないのだ。あるとしても生きている文化であるか形骸化されて干からびた文化であるかだ。
沖縄の文化は生きている。しかしうちなー口をベースとした沖縄文化はもう息も絶え絶えだ。それはあまりにも残念なことで、沖縄文化にとって重大なことに思える。しかもうちなー口をこのような危機的状態に追いやったのは、時代がそうさせたとはいえ、ほかでもない当事者である沖縄人のこの誤った認識からだと思うとなんとも切ない。

「あい、今は沖縄の歌、ないちゃーも聞くんだよ、ふーじあるよー」と言うと、祖母は「あい、そうねぇー、ないちゃーも聞く、あんしぇ…」といすに腰掛け、愛用のクバオージを手にリサイタルを始めた。翌日の昼に私が止めるまで彼女は食事と睡眠以外ずっとカメラの前で歌いきったのだ。結局、理屈ぬきで島の歌が好きだったのだろう。
祖母が他界した今、このビデオは唯一かげがえのない一本として私の宝物になっている。




posted by morgan at 01:58| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 掲載記事・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする